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「マスター!聞いたかい!?」

 自称江戸っ子の多胡さんはこの喫茶店の常連だ。

 年の頃は60代半ば。白髪混じりの短髪。仕事は魚屋だが、ここに来る時は、念入りに体を流し、夏場はポロシャツ、冬場はコーデュロイパンツにフィッシャーマンズセーターという出で立ちで週の半ばに現れる。

 マスターはそこまで気を使わなくてもと言うのだが、「いや、俺のだんでぃずむが許さねぇ」と自らに課したスタイルを保ち続けている。

 その多胡さんが今日は前掛けにハチマキのスタイルで現れた。

 

 「どうしたんですか?店はよろしいんですか?」

 マスターはほんの数秒驚いた様子だったが、すぐにいつもの表情に戻った。

 「あの馬鹿ガイだよ!」

 馬鹿ガイとは同じ商店街でコンビニを経営している甲斐さんの事だ。

 「甲斐さんがどうかされたんですか?」

 多胡さんによると甲斐さんのコンビニで中学生数人が万引きをしているのを店員が見つけたらしい。

 当然、親が呼び出されたのだが、子供らはヘラヘラ笑っている。それを見た親のひとりが自分の子供を殴り飛ばしたらしいのだ。

 警察沙汰になり、""が捕まった。それを黙って見ていた甲斐さんを多胡さんは怒っているのだ。

 「俺たちが子供の頃は、悪いことをしたら、怒られてたじゃねぇか。万引きなんぞしたひにゃぁ一発殴られるどころじゃ済まなかったよ。近所の爺さんの家の柿を一個盗んだ時には爺さんからしたたか怒られたぜ。そのあと、親からはボコボコよぉ。親父は爺さんに一升瓶ぶら下げて謝りに行ったもんさ。警察が出てくることなんざなかったよ。馬鹿ガイの野郎みたいに子供の悪さを黙って見てる大人なんざ一人もいなかったよ!ましてや悪さを怒る親が捕まるとはどういうことだい!俺ぁ甲斐はもう少し骨のある奴だと思ってたぜ。情けねぇ。」

 

 「うるせぇ。骨がねぇのはタコも同じじゃねぇか。」

 扉の前に肩を落とした甲斐さんが立っている。

 「俺だって自分の子供がおんなじことをしたら殴り飛ばすよ。でもよ、法律がそれを許さねぇんだと。」

 「じゃあ、子供が悪さをしたらどうやって怒るんだよ?」

 「褒めて教えろだとさ。」

 「何?じゃあ、なにかい?”もっと盗めたのにお前はよくこれだけで我慢したねぇ〜”とでも言えってか?冗談じゃねえよ!」

 「しようがないさね。お偉い先生方が考えてお上がお決めになったんだろ。」

 多胡さんも甲斐さんも黙り込んでしまった。

 「とりあえずどうぞ。」二人にジャスミンティーをマスターは差し出した。

 「マスター。なんかない?」甲斐さんは鼻の前を手で扇ぎながら聞いた。

 「そうですね。子供を怒る時に合う香りなどはないのですが、これはいかがでしょう?」

 マスターの手の小瓶はカモマイル・ローマン。

 子供のストレスにもよく使う香りだとの説明を聞きながら、香りを嗅いでいた多胡さんが口を開いた。

 「まぁ、確かに最近の子供らは俺らの時代にはないストレスがあるかもなぁ。」

 「一体いつからこんな感じになっちまったのかねぇ。」

 しばらくの間、喫茶店内はジャスミンティを啜る音と沈黙のみが居座ることとなった。

【全てフィクションです】